蚊やマウスの唾液の鎮痛効果のメカニズムの発見
蚊は毎年、数十万人を死に至らしめているとても危険な生き物です。人間に「襲いかかってくる」わけではありませんが、蚊は病気を媒介するためです。たとえば、ガンビエハマダラカはマラリアを、ネッタイシマカはデング熱や黄熱などを、イエカは西ナイル熱などの病原体を媒介します。私たちは、蚊に刺されても痛みを感じることはほとんどなく、刺された後で痒くなって初めて感じることが珍しくありません。蚊は長く伸びた口針で皮膚を切り開いていきます。この口針が細いのでの痛みを感じにくい(無痛性穿刺)と考えられています。蚊は刺すときにたくさんの唾液を放出しますが、その唾液には、血液を固まりにくくしたり、肥満細胞に働いてヒスタミンを放出させたりする作用があります。このヒスタミンが痒みをもたらすのです。しかし、蚊の唾液成分の無痛性穿刺への関与は知られていませんでした。
自然科学研究機構 生理学研究所/生命創成探究センターの富永真琴教授、関西大学 システム理工学部の青柳誠司教授、富山大学 学術研究部 薬学?和漢系の歌 大介准教授、生理学研究所 DerouicheSandra 元特任助教らの研究グループは、感覚神経にある、カプサイシン受容体TRPV1とワサビ受容体TRPA1に注目しました。TRPV1とTRPA1は痛み受容体としても知られており、鎮痛に関わっている可能性があります。そこで、唾液がTRPV1とTRPA1に与える影響を検討しました。すると、蚊(図1)の唾液は濃度依存的にヒトTRPV1, TRPA1の機能を抑制することがわかりました(図2)。また、蚊の唾液だけでなくマウスの唾液もマウスTRPV1, TRPA1の機能を抑制したことから、唾液のTRPV1, TRPA1に対する効果は普遍的であろうと考えられました。
蚊の唾液にはたくさんの成分が含まれています。研究グループはTRPV1、 TRPA1の機能を抑制する成分を特定するために、蚊の唾液を熱処理しました。もし蛋白質成分が重要であれば、熱処理を行うことで、蛋白質変性が起こり、抑制効果がなくなると考えられます。実際に、95度で20分処理するとTRPV1, TRPA1の抑制効果がなくなったことから、蚊の唾液に含まれる蛋白質成分がTRPV1, TRPA1の機能を阻害していると考えられます。またマウスの唾液も同様で、熱処理でTRPV1, TRPA1は機能抑制効果を失いました。これまで、唾液に含まれるシアロルフィンという蛋白質に個体レベルで鎮痛効果があることが報告されていることから、シアロルフィンの効果を検討すると、シアロルフィンは濃度依存的にヒトTRPV1, TRPA1の機能を抑制することが明らかになりました。これらの結果より、シアロルフィンが蚊やマウスの唾液のTRPV1, TRPA1阻害効果に重要であることが分かります。
次に、個体レベルでの鎮痛効果を検討するために、マウスの足の裏にカプサイシンやワサビ成分アリルイソチオシアネートを投与して、痛み関連行動を観察した結果、蚊の唾液により、痛み関連行動が抑制されることが確認できました(図3)
また、足に機械刺激を加えると脊髄の神経が興奮しますが、このような脊髄の神経の興奮も蚊の唾液で抑制されることがラットを用いて明らかになりました(図4)。カプサイシンによるラットの脊髄の神経興奮は、やはりシアロルフィンにより抑制されることも確認できました。
以上のことから、蚊やマウスの唾液が痛みセンサーのTRPV1, TRPA1の機能を阻害して鎮痛をもたらしていると結論されました。私たちヒトを含む多くの動物がけがをしたときに傷口を舐めますが、その理由の一つは唾液による鎮痛かもしれません。シアロルフィンをはじめ、唾液に含まれる成分の研究は新たな鎮痛薬開発につながるものと期待されます。
この研究成果は、米国科学雑誌「PAIN」オンライン版に2021年5月16日に掲載されました。